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北鎌倉の縁切寺、東慶寺を歩く ~水彩画12作目~

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東慶寺本堂 水彩画12作目

 

東慶寺は、駆込寺、縁切寺とよばれ、この寺に女性が駆け込めば、夫との縁をきることができた。昔は、どんな事情があっても女性の側から離婚することができなかった封建時代に、東慶寺は貴重な存在だったであろう。

 

縁切寺に逃げ込んだ女性は、必ず尼にならなければ離婚できないわけではなかったらしい。尼になるのであればどこの尼寺へ行ってもなれたし、夫と別れることもできた。

縁切寺の特色は、尼にならず縁切ができる点であり、縁切りがかなって寺を出れば、再婚することもできた。さすがに再婚してまた逃げてきても受け付けなったそうだ。

 

逃げ込んだ女性はどんな生活をしていたのだろうか。

寺入りに際し、誓約書のような一札を入れ、それから冥加金を納める。この冥加金の金額によって、寺での生活が決まったらしい。3段階に分かれていて、上は仏殿に花を供えたり、来客に挨拶にでるなど院代様のお側にあって勤める。中は座敷、方丈の掃除食事の調理、来客の給仕にあたる。下は洗濯、草取りなどの下級の仕事をする。

いつの時代も、どこへ行っても、世の中金次第ということだろう。3年間の奉公で寺を出ることができたらしい。

 

お金の無い女性は駆け込みできなかったのだろうか。

そうではなかったらしい、封建制度では女性の実家が支払えないときには、実家のあるところの名主が代わって支払わなくてはならない仕組みになっていた。名主もたまったものではないが御上には逆らえなかったのだろう。

 

今回は東慶寺の本堂を描いてみました。火災による焼失や関東大震災による倒壊などを経て、現在の本堂は1935年に建てられたものである。

バックの竹林を表現できていないのと、本堂にフォーカスできていないのが反省点ですね。全体的に黄色が強くメリハリがなくなってしまいました。