びわを描いてみた ~水彩画17作目~
びわを描いてみました。今回のポイントは枝の質感と葉の虫食い等で変色した部分をどのように描写するかの2点です。
枝はごつごつした部分と白っぽいうぶげのような部分が混在していて特徴があるので色分けすればびわらしく見えますね。
葉は大きく肉厚で裏は短い毛のようなもので覆われていますが、残念ながら今の技量では表現できません。虫食い状態を色の変化や滲みを使って表現するのがやっとです。
実の部分は、先端の小さな割れ目と球体の感じを出すのが難しかった。
びわを庭に植えると縁起が悪いとよく聞きますが本当なのだろうか?
ネットでは、
「びわは幹が堅く、木刀にするので人殺しのイメージがある」
「びわの薬効を知って、病人が来る」
「びわの実は食べ過ぎると害になる」
「びわの葉は常緑で大きいので日当たりが悪くなり陰気になる」
などが理由ではないかと言われている。
びわの薬効としては、昔から、風邪で咳や痰が出たり、熱が出たりしている時には、
生のままのびわを食べると良いと言われているそうです。また、びわの花や葉にも咳や痰を鎮めたりする作用があると言われています。
菖蒲(あやめ)を描いてみた ~水彩画15作目~
あやめを墨彩画風に描いてみました。花びらの広がりやバランスはイメージ通りですが葉がお粗末な結果になってしまった。
墨彩画の場合は筆で濃淡を出しながら一筆で描いているので味わいがぜんぜん違いますね。墨絵のタッチを見ると奥深さがよく分かります。
今回の菖蒲(あやめ)は6月頃に咲く花ですが、よく似た花がいくつもあって見分けるのが難し。同じ漢字で読み方の違う菖蒲(しょうぶ)や杜若(かきつばた)などがよく知られています。
見分ける決め手は花弁!
花菖蒲は花弁の元が黄色の目型模様、あやめは網目模様、かきつばたは白の目型模様、これで間違えなくなればいいのですが・・・すぐに忘れてしまいそう。
一重のバラを描いてみた ~水彩画14作目~
一重のバラを墨彩画風に描いてみました。今回のポイントは花びらのグラジュエーションと葉をグリーンではなく墨の濃淡で表現したところです。
墨彩画の雰囲気を出すため円い消しゴムで朱印を作りました。彫刻刀で試みましたがまったく形にならず断念、結局細いカッターナイフでホジホジしながら作った代物です。
チャレンジすることが大切なんだと自分に言い聞かせ押印したのですが、その完成度の低さに落胆、なんだか絵が可哀そうになってきた。
何事にも「はじめ」はある。何かを作ることは本当に楽しいものだ。
夏の定番、あさがおを描いてみた ~水彩画13作目~
あさがお 水彩画13作目
定番の夏の風物詩、あさがおを墨彩画風に描いてみました。背景を省略してあさがおのすがすがしさを表現できないか挑戦しました。
花の色合いとバランスはイメージ通りですが葉が人工的な表現になってしまいました。
筆の勢いで表現する域にはまだ遠い。
北鎌倉の縁切寺、東慶寺を歩く ~水彩画12作目~
東慶寺本堂 水彩画12作目
東慶寺は、駆込寺、縁切寺とよばれ、この寺に女性が駆け込めば、夫との縁をきることができた。昔は、どんな事情があっても女性の側から離婚することができなかった封建時代に、東慶寺は貴重な存在だったであろう。
縁切寺に逃げ込んだ女性は、必ず尼にならなければ離婚できないわけではなかったらしい。尼になるのであればどこの尼寺へ行ってもなれたし、夫と別れることもできた。
縁切寺の特色は、尼にならず縁切ができる点であり、縁切りがかなって寺を出れば、再婚することもできた。さすがに再婚してまた逃げてきても受け付けなったそうだ。
逃げ込んだ女性はどんな生活をしていたのだろうか。
寺入りに際し、誓約書のような一札を入れ、それから冥加金を納める。この冥加金の金額によって、寺での生活が決まったらしい。3段階に分かれていて、上は仏殿に花を供えたり、来客に挨拶にでるなど院代様のお側にあって勤める。中は座敷、方丈の掃除食事の調理、来客の給仕にあたる。下は洗濯、草取りなどの下級の仕事をする。
いつの時代も、どこへ行っても、世の中金次第ということだろう。3年間の奉公で寺を出ることができたらしい。
お金の無い女性は駆け込みできなかったのだろうか。
そうではなかったらしい、封建制度では女性の実家が支払えないときには、実家のあるところの名主が代わって支払わなくてはならない仕組みになっていた。名主もたまったものではないが御上には逆らえなかったのだろう。
今回は東慶寺の本堂を描いてみました。火災による焼失や関東大震災による倒壊などを経て、現在の本堂は1935年に建てられたものである。
バックの竹林を表現できていないのと、本堂にフォーカスできていないのが反省点ですね。全体的に黄色が強くメリハリがなくなってしまいました。
鎌倉フリー環境手形で鎌倉を巡るのは本当にお得なのか ~東鎌倉を巡る~
前回は、北鎌倉駅から円覚寺、東慶寺、浄智寺、建長寺、鶴岡八幡宮を巡りましが、今回はじっくりとお寺を巡るのではなく、数多くの名所、旧跡を見て回るので鎌倉市観光協会が発行している「鎌倉フリー環境手形」を使ってみることにしました。
これって本当にお得なのだろうか。
鎌倉フリー環境手形のふれこみ
●5つのバス路線と電車の指定区間が1日乗り放題
●おもな社寺の拝観料、観光スポット入館料の割引
●協賛店等で特別サービス
鎌倉駅に到着してすぐに、鎌倉市観光案内所に行き「鎌倉フリー環境手形」をお願いすると係りの方が「バスに3回以上乗車しないと得にならないですよ」と先制パンチ!
鎌倉フリー環境手形が570円、バスの1回平均運賃が200円、だから3回は乗らないとペイしないとの理屈らしい。
ネットで調べているのでそんなことは先刻承知、と言いたいところをぐっと我慢して、「特典がいっぱいあるので、それでペイしませんかね?」と尋ねるとあまり表情を変えないで「それが目的ならそれで良いと思います」と声だけ元気に売ってくれた。
なんか怪しいな?今の対応から推測するに、かなりのクレームが届いているのだろう。
だから、失礼を承知で事前に説明する対応マニュアルに変更されたに違いない、そんなことを思いながら鎌倉巡りは京急バスの5番乗り場からスタートです。バスは八幡宮前を通り、金沢街道を朝比奈方面に向かいます。
東鎌倉を巡るコース
金沢街道の浄明寺でバスを降り、鶴岡八幡宮方面に戻る行程で、9カ所、約4.5㎞を巡ります。
①浄明寺
浄明寺バス停を降り、駐車場のある角を左折すると足利氏ゆかりの寺、鎌倉五山第五位・稲荷山浄妙寺だ。足利氏の祖、足利義兼が真言宗の極楽寺として建立したのが始まりとされている。当時は巨刹だったが、今は仏殿、総門、宝蔵庫、庫裏があるだけだ。
裏山には、藤原釜足が鎌を埋めて祈願したと伝えられる鎌足稲荷があり、鎌倉の地名の起源伝説が残っている。
拝観料100円を払うときに「鎌倉フリー環境手形」を見せると絵葉書が貰えた。
②報国寺
浄妙寺から金沢街道に戻り反対側の緩い坂道を登ると、竹の寺で有名な報国寺だ。足利尊氏の祖父、家時の建立と伝えられている。境内にはその家時の墓と、室町幕府と戦って破れ、鎌倉を焼きつくされた時の四代鎌倉公方持氏の長男、義久の墓がある。父とともに戦った義久はこの報国寺で自刃している。
休耕庵という塔頭の跡に孟宗竹が生え、現在の「竹の庭」になったそうだ。
拝観料200円を払うときに「鎌倉フリー環境手形」を見せると「由来記」が貰えます。
③杉本寺
報国寺を出ると左側に細い道があります。地図で確認しないと不安になりそうなくらいの細道をスマホの地図アプリを見ながら杉本寺まで歩きます。
坂東三十三カ所観音札所巡り第一番の札所として知られる杉本寺は、頼朝が鎌倉に入る前からあった古刹である。杉木立の中の山門や本堂にびっしり貼られた千社札や、苔むした急な階段は風情がある。
寺伝では、隣家より火災が起こり、類焼の際、本尊三体自ら庭内の大杉の下に火をさけたので、それより杉の本の観音と呼ばれたと伝えている。本尊が歩いて逃げたらしいが伝説の類にはよくある話だ、詮索は止そう。
拝観料100円を払うときに「鎌倉フリー環境手形」を見せると「由来記」が貰えますが、見せなくても貰えていたので特典内容に入れるのは問題ありですね。あまりにもぺらぺらで内容が薄く、そもそもこれが「由来記」なのかどうかもわかりません。
④護良親王墓
父の後醍醐天皇と討幕活動に身を入れていたが、後に手を焼いた後醍醐天皇は親王を捕らえて鎌倉へ送ってしまう。鎌倉で親王を看視していたのは、足利尊氏の弟、直義であったが混乱する鎌倉で再び兵をおこさないとも限らないと判断し家臣に殺害を命じた。このとき二十六歳、無念の最後であっただろう。
⑤永福寺跡
この画像は永福寺跡の発掘調査から在りし日の永福寺をCGで再現したものだ。頼朝が永福寺を建立するきっかけは、奥州遠征であった。
栄華を誇る奥州平泉の藤原秀衡のもとに逃げ込んだ源義経は、秀衡が死んだあとその子泰衡に謀殺され、その首は頼朝のもとに届けられていた。しかし、奥州で独立国のような勢力を持つ藤原一族を滅ぼさなければ天下統一とはいえないとの思いから大軍を率いて出陣した。奥州平泉の華麗な世界を目の当たりにし、藤原文化にショックを受けた頼朝は「奥州平泉の中尊寺のような寺をわが鎌倉にも」という強い思いが沸き上がったのではないだろうか。跡地で当時をイメージするのは楽しいものです。
⑥鎌倉宮
永福寺跡を出て、鎌倉宮カントリーテニスクラブの前を通りしばらく行くと鎌倉宮に着く。鎌倉宮ができたのはまだ新しく、明治二年のことである。明治天皇が護良親王の終焉の地といわれる二階堂の東光寺跡に創建されたものだ。徳川幕府を倒し、大政を奉還させた明治天皇にしてみれば、時代は違っても倒幕のために命を捧げた護良親王をまつろうとしたのは当然のことかもしれない。天皇の話になると、神話や伝説が歴史と交わり不思議な感覚に見舞われる。
鎌倉宮宝物殿を拝観するときに「鎌倉フリー環境手形」を見せると、拝観料が300百円から200円に割引されます。
⑦荏柄神社
菅原道真を祀る社殿は、朱塗りに白壁。今の社殿は鶴岡八幡宮が関東大震災の修理を行った際の仮本殿だった。梅の頃には合格祈願の受験生で賑わうらしい。
⑧源頼朝の墓
頼朝の墓は天下を治めていた征夷大将軍の墓としては簡素である。墓のある小高い場所から見渡せる一帯は、かつて幕府が置かれていた場所で、問注所、政所、侍所などの幕府の機関がそろい、頼朝、頼家、実朝らが政治を行っていたのだろう。
頼朝の死因についてはさまざまな憶測が今なおなされている。一般的には落馬し、その後まもなく死亡したと伝えられているが、暗殺説や誤殺設も根強いようだ。
誤殺説では、政子によって殺されたというものがある。政子に浮気心があるのではないかと疑った頼朝が、噂のあった畠山重忠に似せて寝所に入ったところ、政子の長刀で切られたというものだ。仮に真実でも歴史には出てこない類の話だ。
⑨宝戒寺
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切りやぐら」で、最後の執権北条高時をはじめ北条一族八百七十余名が自害したと伝えられている。
萩の寺として有名です。
拝観料100円を払うときに「鎌倉フリー環境手形」を見せると、「由来記」が貰えますが、ここでも見せなくても貰えていたので特典内容に入れるのは問題ありですね。
特典の欄が寂しいので市の担当者が勝手に加えたのでしょうか。
東鎌倉巡りを終えて
約4時間で予定の行程を巡り鎌倉駅まで戻りました。時間的には大仏のある長谷寺方面を巡ることも可能だったのですが、思ったより疲れたので日を改めてまた来ます。
鎌倉フリー環境手形については、バス代400円、拝観料割引100円、その他特典で絵葉書や由来書をいただいたので今回は損得なしということになりました。
場所を特定しないでバスで有名な所を巡るのであればお得になると思います。